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AIが乗り越えなければならない壁
・ヤマザキマリさんと養老孟司さんが会話する「地球、この複雑なる惑星に暮らすこと」文藝春秋/刊を読んでみました。きっかけは友人が「あなたが養老さんにプレゼントした針金アートのゾウムシ(橋 寛憲・制作)が表紙裏に載ってたよ」という手紙をくれたからです。
・森羅万象、生態系から考え方、生き方などを語り合い、なかなか興味深い一冊。ただ一般人と専門家の会話ではなく、虫好きと博学教養人という"同好の士"の会話なので、所々ちょっとついていけなくなります。
・学者の一般向け書物を読んでいつも思うのですが、自分の辞書にないテクニカル・タームが出てくると理解しようという意欲が激減します。専門用語を使わず書いて欲しい。
・養老さんとは何度か会ったことがありますが、言っていること書いていることは一貫していて、"脳化社会への危惧"。先日、朝日新聞でA Iについて「仮にA Iが感覚器官を備え、そこから得たデータやメモリー内の知識などを、人間のように一括処理して出力できるようになったとしても、それはプログラムによる予測と統御にすぎません‥‥『自然知能』の脳と人工知能は、ハナから別もの。どうして比べるのかな」と語っていました、同感。
・なんでもデータやプログラム、アルゴリズムで処理する脳化社会で未来が開けるのか。世の中には経験やデータで予測する人と、自らの触感・体感で予感する人と2種いる気がします。
・それで思い出すのは、iPhoneが登場した時、「こういう機能を積み重ねたものはヒットしない」と断言した著名な評論家がいました。確かに多機能家電が頭打ちになっていた頃でしたが、マーケティングの常識は間違うという好例です。当方は手に取った瞬間、未来が見えました。
・データやマーケティングではなく、自らの感性、皮膚感覚(Skin Sensation)で新雑誌を創刊してきたのですが、はたしてA Iにそれができるのか。A Iは人間の造ったものは見事に処理できると思いますが、人間の目に見えない"潜在性や感性"が、シンギュラリティー(A Iが人間を超える技術的特異点)の前に立ち塞がっているのでは。
次号1月22日月曜日
by 2024.01.19